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緑園国際交流 No.129 トークサロン
ロシアの古都 サンクトペテルブルグと ウィボルグ
ロシアの伝統的民族衣装で登場、流暢な日本語で

 
 緑園国際交流 第129回トークサロンが11月25日(土)緑園クラブハウスで開かれた。スピーカーはロシアのカタリーナ・エレメーエヴァさんとエリザベータ―・トレチャコアさん。共にプーチン大統領も学んだサンクトペテルブルグ大学出身で日本語を学習、現在横浜国立大に留学中のお嬢さん。スピーチの際にはロシアの伝統的民族衣装でロシアおよびそれぞれの出身地のサンペテルブルグとヴィボルグについて流暢な日本語でスピーチされ、近来にない多くの聴衆を魅了させてくれた。
     
     

 ロシアは世界最大の面積を誇り、首都はモスクワ。キリル文字が使われるが、78%を占めるロシア民族を含め、182の民族が居住する多民族国家。ロシア語を含め、26の公用語がある。

 ロシアには敬語はないが、丁寧な言葉と友達と話す言葉を使い分けることはある。こんにちは:ズドラァーストヴィチェ、ありがとう:スパスィーバ、さようなら:ダスヴィダーニャなどが紹介された。スポーツはサッカー、アイスホッケー、フィギアスケートなどに人気がある。

 日本ではロシアは寒い、帽子を被っている人が多い、クマがあちこちで見られるというイメージがありますが、実際はロシアは広大で気候も、地域によって大きく違い、暖かいところもあります。
 旧ソ連時代ウシャンカという帽子をかぶっていた人々も、今はあまり見られません。自由に移動するクマの姿はロシアより日本のほうが多い気がします。

   

 いろいろなロシアの料理、漬物、発酵食品やお酒の紹介があり、原材料についてみんなで質疑があった。また寿司だねのイクラはロシア語とのこと。

 ロシアにはいろいろなお祭りがあり、お正月はデズモロズとスネグロチカというおじいさんと孫とのキャラクターをはじめ、プーチン大統領の5分間スピーチの後のクレムリンの時計台の鐘の音を聞くのが恒例。ロシアのクリスマスは17日、その他国際女性デー、イースターの紹介があった。

   

 ロシアの宗教は6-7割はクリスチャン(ロシア正教含め)その他イスラム教、ユダヤ教、シャーマニズム、アミニズム、仏教、ヒンドゥ教など幅広く多くの教会寺院がある。

 カタリーナ・エレメーエヴァさんから出身地のサンペテルブルグの紹介があったが、行ったことのある人は?との質問に、会場で7-8人の挙手があったのには驚いた。

   

 サンペテルブルグはピョートル大帝によって開かれ、イタリアの運河のあるヴィネツィアをモデルとしたとされる開発都市。1712年から1918年まで約200年間ロシアの首都であった。運河・川は282キロにおよび、橋が800ほどあり、運河川のツアーも多い。20世紀初頭の3大ロシア革命の発祥地でもあり、その後首都はモスクワに移り、サンペテルブルグはレニングラードと名前を変えた。1941年第二次世界大戦時、ドイツとの戦火で100万人以上の死者が出たが、レニングラードは最後まで耐え抜いて英雄都市の称号が与えられた。

   

 ソ連崩壊後、再び投票によってレニングラードは元のサンペテルベルグに代わったが、市内に文豪プーシキンの家、博物館、ピョートル大帝の夏の宮殿ぺテルゴフなど観光の中心地でもある。現在ヨーロッパで最も高いビル463mのラプタセンターが建設中で2018年完成の予定である。

 エリザベータ―・トレチャコアの故郷ヴィボルグは、サンクトペテルブルグから電車で1時間半の郊外にある。人口10万人の街でかってフィンランドに属しており1293年ヴィボルグ城が建てられ、1939年ソ連に編入された。買い物には国境を越えて近くのフィンランドの街に行くことも多く、ヨーロッパの雰囲気を残した外国人も訪れる観光地でもある。

   

 スピーチ後の日本での印象、レニングラードからサンクトペテルブルグへの名前変更の経緯、ロシアと日本の関係、ロシアの物価、将来の進路、質疑応答も多く、ロシアに関する関心の高さに触れた。

 お二人は、将来とも日本とロシアの懸け橋としてかかわりたく、カタリーナ・エレメーエヴァさんは翻訳家として、エリザベータ―・トレチャコアさんは日本語教師として活躍の夢を持たれており、盛大な拍手で幕を閉じ、有志との記念撮影を行った。